HPFhito67・「天寿がん」を語る札幌がんセミナー理事長の小林博先生

 公益財団法人の「札幌がんセミナー」(SCS)から同法人の定期刊行物の「SCSコミュニケーション The Way Forward」が送られてくる。表紙の絵は、一目で画家金井英明氏のものであることがわかる。金井氏はこの風土記人物編でインタビューしていて、絵を目にし、顔見知りのSCS理事長小林博先生のパノラマ写真を撮ることを漠然とした予定の中に入れておいた。
 SCSは大通西6丁目にある北海道医師会館に入居している。建物の前を通ったついでにアポイント無しで訪ねてみる。小林先生は居られるだろうか、と期待半分で開いているオフィスのドアから覗き込むと、先生が机に向かって仕事中である。この時のインタビューで知ることになったのだが、先生は毎日この部屋に来ているそうである。そして、毎日きちんとした仕事があることが何より長寿に寄与している、との話を伺った。
 小林先生はがん学者として長年研究と教育に携わってきた。1927年に札幌で生まれているので今年(2014年)で87歳になられる。札幌第二中(現札幌西高)から北大医学部に進み、医学部の病理部門でがんの研究を行い、1965年には教授に昇進している。教授になったのは37歳の若さである。1991年に北大を定年退職し北大名誉教授となり、北海道医療大学教授や北海道医師会道民教育センター長などを歴任している。受賞も多く、日本医師会医学賞(1986年)、紫綬褒章(1990年)、日本癌学会吉田富三賞(2000年)、第一生命保健文化賞(2008年)などとある。
 小林先生との話は当然ながらがんに関するものになる。素人の興味で、がんとは戦うな、との持論を展開する慶応大学医学部の近藤誠先生の話題などを持ち出してみる。小林先生は、近藤先生は勇気があり、近藤先生も理にかなったことも言っているとのことで、近藤理論の全面否定の立場ではなさそうである。近藤先生との立場の違いは、放射線治療の近藤先生は画像を見てのがん治療で、小林先生は病理の立場から、実際のがんを肉眼で確かめての治療経験がある点の差であるらしい。
 ご自分でもガンに罹った経験がある。1990年に日本癌学会会長に就任した時期に肺がんが見つかり、会長職を全うしてから手術したそうである。それから20年以上健康で居られるのは、がん治療のお蔭ということになる。しかし、年を取ってからのがん治療は必ずしも良い選択でもない、といった意味の話もされる。「天寿がん」という言葉を持ち出されていた。天寿を全うするのに、死期の予測できるがんは好都合かもしれない。末期のがんによる痛みは薬でコントロールして、予測される余命ですることをやって、めでたく人生を終わる。
 よく人生の終わり方の理想に「PPK」(ピンピンコロリ)が言われるけれど、大概はそうならず、大方の人は、最後は身障者として生を終わる。小林先生は「PPK」は「ピンピン枯れる」で、枯れる手伝いをがんがしてくれる、と話されていた。それにしても小林先生はお元気である。健康の秘訣を聞くと、冒頭の話の、毎日SCSのオフィスに通ってやる仕事があることだそうである。その他には、毎朝シャワーを浴びて30分ほど体操をすることぐらいが健康法と言えるかもしれない、とこれといった特別の健康法を実践しているようでもない。寿命だから、という言葉が重みを増す。
 インタビューを終えてパノラマ写真を撮る。パノラマ写真を回転していくと、SCSが毎年行っている「がん特別セミナー」のポスターや海外でのボランティア活動の写真などが並んでいる。これらは写真撮影時にはよく見もせず、写真を合成してから見ている。


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(SCSのオフィスで仕事中の小林博先生、2014・4・10)

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