HPFhito66・太古の海牛に魅せられた札幌市博物館活動センター学芸員の古沢仁氏

 札幌市には正式な市立の博物館が無い。以前同市に博物館を新設する話があり、検討が行われたのだが予算の関係で計画は凍結されたままである。しかし、将来の博物館建設を視野に入れて、博物館の「活動」を行うセンターがあり、展示物を市民が自由に見学できる。場所は北一条通に面した旧札幌市立病院の建物内である。この建物は2年後には取り壊される予定で、活動センターは平岸の児童発達センター「かしわ学園」の移転跡に移る予定である。
 活動センターは都心部にあることも手伝って、ときどき覗いてみる。ここの一番のお宝は、当時小学生だった女の子が豊平川で発見して「サッポロカイギュウ」と名付けられた大昔の海牛である。その海牛に関する研究を続けて来ている学芸員の古沢仁氏を訪ね、インタビューとパノラマ写真撮影を行う。
 活動センターには市の職員の学芸員が二名居り、古生物学専門の古沢氏と植物学専門の山崎真実さんである。古沢氏は1956年札幌生まれで、北海道札幌北陵高校(1期生)から北海道教育大学に進学する。大学では自然科学科の地学を専攻した。卒業後札幌市手稲中央小学校の先生として赴任したけれど、1年間で勤務先を変えることになる。深川市でのクジラの化石の発掘調査に関わり、滝川市でも同様な化石が発見された時、これをクジラの骨と見立てた。しかし、これは海牛の化石で、この誤認から滝川市が博物館施設を創る計画に乗り学芸員として滝川に移り、滝川カイギュウの研究を行った。
 滝川市での仕事も一段落し、今度は旭川市の高校の夜間の教師となり、昼間は旭山動物園でのプロジェクトに関わったりしながら、自宅での古生物の研究を続ける。そうこうしているうちに沼田町で海牛化石が発見され、昼間は沼田町での作業、夜は旭川での教師の生活となる。この状況で沼田町の学芸員の声が掛かったのを機に沼田町に勤めて研究を続け、1998年に札幌の現在の職場に移っている。札幌では前述の市の博物館新設の計画・検討に加わった。
 インタビュー中の古沢氏の口から古生物の名前がチラリと出てきても、聞いたこともない名前である。古沢氏は2002年度に鹿児島大学から論文博士で学位を授与されている。博士論文を見せてもらうと論文題目は「海牛目ジュゴン科(Sirenia:Dugongidae)絶滅した2亜科(HalitherriinaeとHydrodamalinae)の系統と進化」で専門用語が並び、会話に用語が出てきても素人にはどんなものか理解が及ばない。
 パノラマ写真は、現在研究中の豊平川から掘り出されてきて、クリーニングが終わっているクジラの骨格化石の一部の横に立ってもらって撮影する。現在のクジラの骨と比較して、数倍も大きな骨の化石を説明してくれる。この化石はほぼ一体分が見つかっていて貴重な標本であるらしい。以前、道新文化センターの都市秘境散策講座で講座受講生と一緒にここを訪れた時、大きな岩石の塊から化石を取り出す作業を見学しているけれど、このクジラの化石だったようだ。それにしても遠い昔に生きていた海中の動物の化石を相手に、研究を続けていくのは気の遠くなる話である。
 古沢氏は趣味として絵を描くそうである。沼田町の仕事場で絵を描いているところが出版社の編集者の目に留まり、福音館書店の「月刊たくさんのふしぎ」の第172号(1999年7月号)の「時をながれる川」の絵本として出版されている。絵と文は古沢氏である。沼田町を流れる幌新太刀別川で発見される化石から、大昔この川や周囲の山が海の底にあった時代に、海牛やクジラが泳いでいた様子が描かれている。絵本を見た子供たちが時を遡り、想像の翼を広げる様子が見えてくる。教員として小学校の児童は教えられなかった代わりに、学芸員の目を通した絵本を出版して、児童に太古の物語を語り聞かせている。


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(クジラの化石の横に立つ古沢仁氏 2014・4・10)

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