HPFhito65・IT街工場にエンジニアの理想郷を求めるサイレントシステム取締役中本伸一氏

 技術力を持った中小企業の町工場が集まるエリアで、共同で新技術に挑戦する報道に接することがある。これに対して、IT業界での物作りでは町工場の話はあまり耳にしない。しかし、インターネットが発達してきた現在、街中のマンションの一室が工場のようになって、IT製品が作られているのである。これはIT街工場とでも呼べるだろう。
 (有)サイレントシステムはこのIT街工場である。この会社には、中本伸一氏と岡田節男氏のエンジニアが二人だけ働いている。中本氏がソフト、岡田氏はハードを担当し、コンピュータ及び電子デバイスの製造販売を行っている。会社は2005年に設立されている。
 1956年札幌生まれの中本氏は月寒高校から北大に進学している。工学部電気工学科に移行し、所属の研究室は筆者のところであった。在学中に、後に全国規模のゲームメーカーになるハドソンに入りびたりで、北大を卒業せずにハドソンに勤める。マイコンが出始めの頃はHuBASICを作ったり、後にハドソンの売れ筋のゲームを開発したりした伝説的エンジニアである。会社では副社長にもなっている。
 ハドソンは工藤裕司、浩の兄弟社長で経営されていたが、北海道拓殖銀行の破たんで資金繰りに躓き、コナミの傘下に入り、2012年にはハドソンの社名も消えた。ハドソンが無くなる以前に同社を離れた中本氏は、組織の制約を受けない形で物作りができるエンジニアの理想郷を目指し、前述の会社を設立している。マンションの1室でも工場のようにIT製品を作れると聞いていたので、その現場でパノラマ写真を撮らせてもらう。
 マンションの部屋に入ると、製品開発のためのパソコンや測定器が並んでいる。シンクロスコープ、スペクトルアナライザー、無線の送受信機etcとある。オリジナルな製品を設計し、回路図をネットで送ると出来上がったチップや基盤が郵送されてくる。それを必要部数半田付けし、ケースに入れて完成品にする。販売もネットで行い、会社のHPに製品のラインナップが表示されている。製品としてセンサーボックス、ワンチップサーバー、無線通信モジュールとこれまで開発された数多くのものが並んでいる。
 売上高の規模を尋ねてみると、年商1000万円ぐらいだろうとのことである。中本氏はCQ出版のライターとして原稿の依頼があり、スカイマークのIT監査役を勤めていたりで、収入を全面的に会社に依存している訳でもないようである。技術者として好奇心を満足させてくれる製品を開発している、といったところである。これがエンジニアの理想郷という謂れである。
 中本氏は好奇心旺盛で、現在はビール造りを行っている。地ビールメーカーの小樽ビール肝煎りでビールコンテストがあり、個人が造ったビールの品評会参加が楽しいと言っていた。以前には陶芸に凝っていた時があり、こちらは造形よりは釉薬による色出しが、酸化雰囲気や還元雰囲気でどんな風に変わるかといった、化学の世界に興味があったようである。
 ウォーキングも趣味に入っていて、空知単板工業主催の100キロウォークやオランダのナイメーヘンの200キロウォーク(フォーデーマーチ)参加の話が出てくる。ウォーキングの裏ワザなどを聞いていて、筆者も何かのウォーキングに参加してみたくなってくる。
 考えてみると、大学の研究室に顔も出さず、大学を中退した中本氏であるけれど、大学を離れた中本氏とは時々海外旅行を行っている。北海道マイクロコンピュータ研究会のメンバーで参加した1981年のサンフランシスコでのウェスト・コースト・コンピュータフェア旅行、2000年のソウルでのeシルクロードの日韓の会議、2005年の中国成都市パンダ繁育研究センター視察旅行とある。そしてパノラマ写真風土記にも登場してもらい、この記事を書いていて過去の旅行の思い出が浮かんでくる。


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(サイレントシステムの中本伸一氏、2014・4・8)

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