(北海道新聞朝刊 2017年11月22日)

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2018年「北海道の絶景空撮パノラマカレンダー」通信販売致します

○冊子タイプ 見開きB3(より少し大き目)
○表紙を含め写真13枚(日にちを含め27ページ)
○価格 1300円+104円(消費税)+250円(送料)=1654円ー>数字をまるめて1500円にします。
○支払方法は下記銀行口座振り込み
名義 e(イー)シルクロード研究工房 青木由直(アオキ ヨシナオ)
北洋銀行宮の沢支店
口座番号 普通0258526

○問い合わせ先メールアドレス
aoki@esilk.org (@は英文字に直してください)

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北海道新聞夕刊記事 

道新カレンダー紹介記事(2016・12・7夕刊)

北海道新聞夕刊(2016年12月7日)

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毎日新聞記事(北海道版)

毎日新聞記事(2016・11・7)

毎日新聞記事(2016年11月7日)

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2017年カレンダー 「パノラマ写真で見る駅と列車の風景」 通信販売します

○冊子タイプ 見開きB3(より少し大き目)
○表紙を含め写真13枚(日にちを含め27ページ)
○価格 1300円+104円(消費税)+250円(送料)=1654円ー>数字をまるめて1500円にします。
○支払方法は下記銀行口座振り込み
 名義 e(イー)シルクロード研究工房 青木由直(アオキ ヨシナオ)
 北洋銀行宮の沢支店
 口座番号 普通0258526

○問い合わせ先メールアドレス
 aoki@esilk.org (@は英文字に直してください)

2017カレンダー表紙

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HPFhito100・修士修了でも「ドクター国本」と呼ばれるヤマハ(株)主席技師の国本利文氏

 研究室の成果をまとめた論文集に、黄ばみかけた論文別刷りが綴じられている。その中の一編に1983年1月号の電子通信学会論文誌(A)に載った「ARMA群遅延フィルタの統計的設計法」の論文がある。筆頭著者は国本利文君で筆者との共著論文である。論文には同君の所属が日本楽器製造(株)と記載されていて、修士課程の研究が学会誌に論文で掲載されたのは修士修了後であった。
 前記会社は1987年にヤマハ(株)に社名を変更していて、社名は創業者山葉寅楠から採っている。山葉は1889年浜松でオルガン製作の山葉風琴製造所を設立した。そのヤマハ(株)の研究開発統括部戦略担当主席技師国本利文氏の講演会の案内が、講演当日メールで届く。同氏が修士課程修了後30年以上も経っていて、懐かしさも手伝って北海道総合研究プラザで行われた講演を聞きに行く。
 国本氏は1957年札幌で生まれている。札幌旭丘高校卒業後北大に進学、1982年北大工学部電気工学科修士課程を修了している。当時の筆者の研究テーマはホログラム信号処理であったので、それに関わる研究テーマを与えていたはずである。しかし、実際の修士論文の研究成果は前述の論文にあるもので、独自に研究テーマを見つけて成果を出している。
 講演は国本氏の略歴から始まり、ヤマハの音楽教室に通う子ども時代があったそうで、それがヤマハへ就職する伏線であったのをこの講演会で初めて知る。就職担当の教官に当たっていないと、学生の就職先選択の動機など込み入った話を聞く機会はほとんどない。
 講演会資料の講師プロフィールに「在学中に立東社の「だれにもわかるエフェクター自作&操作術」のライターとして業界デビュー」とある。この立東社も初めて聞く会社名で、「Jazz Life」という音楽雑誌を出していて、前記の原稿はこの雑誌への寄稿のようである。音楽よりは、音を作り出す電子機器に興味があったと講演での自己紹介であった。なお、立東社は2001年に倒産している。
 入社後はヤマハの主力製品のシンセサイザーの音源部分の研究開発を手掛けている。講演会でも、時代を追って開発された音源のモデル音をパソコンでデモしていた。楽器の物理モデルに関して入門的な話をしていたけれど、専門外の聴講者には理解が及んだかどうか。FM音源と古典的ピアノの電子音の差ぐらいは音(音楽)に強くはない筆者にも分かった。それにしても、この分野は電子機器とデジタル信号処理技術で長足の発展を遂げている。
 国本氏は2010年から3年間ヤマハ(株)研究開発センター長として同社の研究開発の陣頭指揮を執っている。56才を過ぎて役職定年になり、現在は同社研究開発統括部戦略担当主席技師として後進の研究者や技術者の指導に当たっている。自身もより現場近くの研究に戻る機会を得たようで、研究者、技術者としてのやり甲斐があると言っていた。
 講演の冒頭に初音ミクのイラストが出てきて、これがヤマハのボーカロイド製品を応用している事をこの場で初めて聞いた人が多かったのではないだろうか。講演後、今回の講演会をメールで教えてくれた国本君と同期の中本伸一君が筆者にマイクを手渡して何か質問するようにとのことで、ヤマハのボーカロイド技術と初音ミクの技術の境目がどこにあるのか、といった事を聞いてみる。大雑把に言えばボーカロイドの基本技術はヤマハ、その利用技術を初音ミクを生み出した札幌のクリプトン・フューチャー・メディア(株)で開発したといったところか。国本氏の講演の演題が「楽器のヤマハ、音のヤマハの音楽へのこだわり」に対してクリプトン社のコンセプトが「音で発想するチーム」であることが、両企業の性格の違いを表しているともいえる。
 講演会の橋渡しをした北大の山本強教授も講演会に来ていた。国本君が修士の学生の頃、山本先生は同じ研究室の博士課程の学生だった。博士課程を卒業していなくても、会社ではその研究開発の実績から「ドクター国本」と呼ばれていると聞いたのは山本先生からだったと記憶している。現在、社会人入学で北大の博士課程の学生になり、博士号取得の過程にあると聞いているので、近い将来名実共に「ドクター国本」が誕生することになるのだろう。


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(北海道総合研究プラザの国本利文氏 2015年12月10日)

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HPFhito99映画「杉原千畝」で注目のリトアニア共和国名誉領事の藤井英勝氏

 2015年12月に封切りになった映画「杉原千畝」の1面全面広告が北海道新聞に掲載された。その広告の下欄に「国内初のリトアニア共和国名誉領事館が札幌にあるんです」の見出しで、同領事館名誉領事の藤井英勝氏の写真が載っている。名誉領事館のある場所は札幌市中央区大通西11丁目の藤井ビル内である。
 日時を合わせ、藤井ビルの9階のオフィスに藤井氏を訪ねる。オフィスの入口のところにリトアニア共和国と日本の国旗が立てられている。以前道新文化センターの街歩き講座で、札幌市民と共にこの名誉領事館を訪ねたことがあるのを思い出す。応接室で藤井氏のパノラマ写真を撮影し、簡単なインタビューとなる。
 藤井氏は1944年に雨竜町で生まれている。札幌東区にある光星高校に入学する時に札幌に出て来くる。高校から東海大学短期大学部に進学し、電気通信科を卒業している。弱電関係に興味があったので電気通信を選択したとのことで、この専門分野の職業に就くつもりはなかったようである。
 大学卒業後の1967年に藤井ビルに入社し、1988年には社長に就任している。現在は会長職にあり、70棟の自社所有及び管理マンションの管理運営をする社業は息子の將博社長が先頭で陣頭指揮である。藤井氏とリトアニアとの縁は、同国のアルギルダス・クジス駐日大使が北大大学院に留学していた当時に知り合ったことに遡る。この縁で、2004年に国内初のリトアニア共和国名誉領事に就任している。リトアニアには親善訪問団団長の時も含め、3回ほど訪問しているとの事である。
 リトアニアはバルト三国の最も南に位置する国である。第二次世界大戦以前にはポーランド・リトアニア共和国であったのが、ポーランド分割によりリトアニアはロシア帝国に編入される。ロシア革命後独立を果たすがソビエト連邦に併合され、大戦中ナチス・ドイツに支配され、戦後はバルト三国がソビエト連邦の構成国になっている。ソ連邦崩壊に先立つ1990年に独立宣言を行っている。2004年には北大西洋条約機構に加盟している。
 前述の映画は、主人公杉原千畝領事がリトアニアのカナウス領事館に赴任し、ナチス・ドイツの迫害に合ったユダヤ系難民に日本通過のビザを発給し続け、6千人もの人々を救ったという史実に基づいている。映画にも当時のリトアニアを取り巻く国家間の複雑な関係が描かれている。
 独立後間もない同国と日本との関係は広く知られることがなかったけれど、前記映画でリトアニアの知名度が上がるようにも思われる。藤井氏に札幌とリトアニアを結ぶものを訪ねてみるけれど、これといったものがない。リトアニアは製造業が重要産業で、家具や建築用品などがあり、ビルの窓枠などの輸入を検討しても、遠い国なので輸送コストが加算され、リトアニア製品を札幌で見ることはほとんどないようである。
 話題を変えて藤井氏の趣味などを伺ってみる。ゴルフやマージャンとのことであるけれど、そのどちらとも趣味が重ならない筆者としては話しの接ぎ穂を失う。道新文化センターの講座で札幌市民を連れて来るのでリトアニアの紹介をしてもらう企画の話も、話下手なのでとやんわり断られる。リトアニアはやはり遠い国のように思えてくる。


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(藤井ビルの会長室での藤井氏 2015年12月10日)

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HPFhito98札幌時計台ギャラリーでの個展と二人展でご縁のできた画家小倉宗氏

 画家小倉宗氏の札幌時計台ギャラリーでの個展のハガキが届く。小倉氏は岐阜県大垣市に住んでいて、札幌の知人(画家佐藤武氏)に個展の準備等を依頼しているようで、本人は札幌までは来ないかも知れないと思っていた。以前にも同様な個展があって、会場で姿を見ることがなかったのが記憶に残っている。
 今回(2015年11月)も個展の二日目に行ってみて、会場で小倉氏が来札されていないのを確かめる。しかし、あるいはと思って最終日にもう一度会場に出向いてみると小倉氏が居られる。小倉氏と知り合いになった20年以上も昔の、このギャラリーでのお互いの展覧会に話が及ぶ。
 1993年の2月に筆者は「青木由直・岡林茂二人展」を前述のギャラリーで開催している。この時向い側の部屋で個展を行っていたのが小倉氏で、これが同氏と知り合うきっかけになっている。今回小倉氏と昔話をしていて、この年を小倉氏は正確に覚えていた。小倉氏にとっては記念すべき個展であったとの話である。なお、筆者の方の二人展の岡林氏は既に故人となられた。
 小倉氏は1959年生まれの大垣市出身(出版された絵本にある著者経歴では北海道厚田村出身だが、小倉氏の口からは大垣市出身)である。1993年の個展を開いた頃は厚田町に住み、塗装業(ペンキ職人)で生活していた。北海道に来たのは小倉夫人が北海道の人だったことによるのか、北海道に来てから結婚されたのかその辺について詳しくは聞いていない。ただ、北海道で仕事を探すとペンキ職人の求人が多くて、それに決めて来道されたそうである。ペンキ塗りの仕事の合間に絵を描いていた。
 厚田町(現在は石狩市)から出身地の大垣市に戻ってからの仕事は、しめ縄の卸の営業である。定時に仕事が終わるので、絵を描くのには適した職であると話しておられた。因みに毎日の平均で出勤前に2時間、帰宅後に2時間の計4時間は絵を描いているので、これまでかなりの枚数を描いてきている。小倉氏はアクリル画で、乾きが速いことも量産の手助けになっている。これまで2000枚ほど描いていて、そのうち500枚は売れている、というからもうプロの絵描きである。
 絵を描く人との会話では、絵を描いて生活ができるか、否それは無理だろとのお決まりの話になる。小倉氏には絵に関連した特技があり、これが絵を売ることにつながっている。それは額の手作りである。小倉氏の絵は全て小倉氏手製の額に納まっている。特にペンキ職人であったので、その技術を生かして額の仕上げの塗装をプロ並みのものにできるそうである。手作りの額であるため、額付きの絵の値段を抑えることができ、販売につながる。
 小倉氏はこれまで絵本も出版している。「じゃんけん戦争 あっちの国こっちの国」(新風舎 2005年7月)があり、出版後に1冊送られてきた。絵本の著者の略歴に「北海道原田村出身」とあるのは「厚田村」の間違いだろう。絵本に載っている経歴には「絵本にっぽん新人賞」(1991年)、「岐阜県美術展県展賞」(1996年)が記載されている。12支マイカレンダーの絵も担当されていて、このカレンダーが送られてきたこともあった。このこともあり、今回お会いした時、筆者が制作に関わった「パノラマ写真で記憶する北海道の鉄道」の2016年カレンダーを進呈した。
 小倉氏の絵は独特なもので、一目で小倉氏の作品とわかる。小倉氏に同じような画風の他の画家が居るかとたずねたら、居ないだろうとの答えなので、どこかで小倉氏の展覧会があったり、作品が飾ってあれば迷うことなく小倉氏の名前が出てくる。最近は年に5,6回は全国で個展や展示販売会が行われていて、結構忙しいらしい。


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(札幌時計台ギャラリーで 2015・11・14)

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HPFhito97:「私が社長です」で大量露出戦略の企業家アパホテル社長元谷芙美子氏

 経済界倶楽部札幌11月例会でアパホテル社長の元谷芙美子氏の講演を聞く。演題は「私が社長です」で、これは同氏のキャッチコピーでどこの講演会でもこの演題で話をしているようである。自身の露出度を高めることにより、社長自らが自社の広告塔になる戦略である。
 配られたノベルティグッズはレトルトカレー、インスタントコヒー、ミネラルウォーター等で、どのグッズにも同社長の派手な帽子姿の顔写真が印刷されている。これだけ徹底して本人を売り込まれると、実体がなければ冷笑の対象にしかならないだろうが、アパホテルという日本のホテル業界でNo1を狙うまで急成長してきている同社の社長として納まっている事実は、この露出戦略の説得力を感じさせる。
 もっとも、アパホテルを起業してここまで成長させたのは、芙美子氏の夫の元谷外志雄代表の起業家並びに経営者としての才覚によるもので、芙美子氏はマスコット的存在で営業活動の方面でアパホテルの成長に貢献している。
 以下はネット情報で拾ったものである。芙美子氏は1947年7月8日福井県福井市で生まれている。1歳の時福井地震で奇跡的に助かり、福井県立藤島高校卒業後福井信用金庫に入行し、小松信用金庫勤務の外志雄氏と知り合い結婚。1971年外志雄氏が起業した信金開発株式会社(現アパ社の前身)の取締役を経て、1994年現職に就く。2001年法政大学人間環境学部入学、2005年卒業。早稲田大学大学院公共経営研究科入学、2006年修士号を取得している。
 講演はアパホテルの成功譚を軸に、色々なエピソードが披露された。その中で元谷夫妻の機微を語る話として、インドのタージマハル廟旅行での夫婦の会話がある。芙美子氏がこの世界遺産にもなっている廟に葬られているマハル妃が、王にかくも愛されていたのかと夫の外志雄氏に言う。対して外志雄氏は、アパホテルの建物群を芙美子氏の働き場所として与えているではないかと応え、芙美子氏がタージマハル廟にも劣らない贈り物を外志雄氏から受け取っていると再認識した逸話である。夫婦間の惚気話でもあるとしても、事実を述べている話でもあるので聞くに値する。
 講演会後の立食の昼食会で芙美子氏のパノラマ写真を撮る。露出度を高める演出のためいつも着用している派手な帽子姿で集まった人と名刺交換をしている。こんな場では長めの話もできず、インタビューというにはあまりにも短い時間の名刺交換で(筆者はパノラマ写真の爪句集を名刺代わりにする)、写真撮影のため会場で少しの間動かないで立ってもらっただけである。ただ、後で何かの話をする時にデータとして利用できるかもしれない、ということで芙美子氏を撮ったものをパノラマ写真メモとして残しておく。


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(2015・11・6 札幌プリンスホテル国際館パミール)

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○支払方法は下記銀行口座振り込み
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 北洋銀行宮の沢支店
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