2015年12月に封切りになった映画「杉原千畝」の1面全面広告が北海道新聞に掲載された。その広告の下欄に「国内初のリトアニア共和国名誉領事館が札幌にあるんです」の見出しで、同領事館名誉領事の藤井英勝氏の写真が載っている。名誉領事館のある場所は札幌市中央区大通西11丁目の藤井ビル内である。
日時を合わせ、藤井ビルの9階のオフィスに藤井氏を訪ねる。オフィスの入口のところにリトアニア共和国と日本の国旗が立てられている。以前道新文化センターの街歩き講座で、札幌市民と共にこの名誉領事館を訪ねたことがあるのを思い出す。応接室で藤井氏のパノラマ写真を撮影し、簡単なインタビューとなる。
藤井氏は1944年に雨竜町で生まれている。札幌東区にある光星高校に入学する時に札幌に出て来くる。高校から東海大学短期大学部に進学し、電気通信科を卒業している。弱電関係に興味があったので電気通信を選択したとのことで、この専門分野の職業に就くつもりはなかったようである。
大学卒業後の1967年に藤井ビルに入社し、1988年には社長に就任している。現在は会長職にあり、70棟の自社所有及び管理マンションの管理運営をする社業は息子の將博社長が先頭で陣頭指揮である。藤井氏とリトアニアとの縁は、同国のアルギルダス・クジス駐日大使が北大大学院に留学していた当時に知り合ったことに遡る。この縁で、2004年に国内初のリトアニア共和国名誉領事に就任している。リトアニアには親善訪問団団長の時も含め、3回ほど訪問しているとの事である。
リトアニアはバルト三国の最も南に位置する国である。第二次世界大戦以前にはポーランド・リトアニア共和国であったのが、ポーランド分割によりリトアニアはロシア帝国に編入される。ロシア革命後独立を果たすがソビエト連邦に併合され、大戦中ナチス・ドイツに支配され、戦後はバルト三国がソビエト連邦の構成国になっている。ソ連邦崩壊に先立つ1990年に独立宣言を行っている。2004年には北大西洋条約機構に加盟している。
前述の映画は、主人公杉原千畝領事がリトアニアのカナウス領事館に赴任し、ナチス・ドイツの迫害に合ったユダヤ系難民に日本通過のビザを発給し続け、6千人もの人々を救ったという史実に基づいている。映画にも当時のリトアニアを取り巻く国家間の複雑な関係が描かれている。
独立後間もない同国と日本との関係は広く知られることがなかったけれど、前記映画でリトアニアの知名度が上がるようにも思われる。藤井氏に札幌とリトアニアを結ぶものを訪ねてみるけれど、これといったものがない。リトアニアは製造業が重要産業で、家具や建築用品などがあり、ビルの窓枠などの輸入を検討しても、遠い国なので輸送コストが加算され、リトアニア製品を札幌で見ることはほとんどないようである。
話題を変えて藤井氏の趣味などを伺ってみる。ゴルフやマージャンとのことであるけれど、そのどちらとも趣味が重ならない筆者としては話しの接ぎ穂を失う。道新文化センターの講座で札幌市民を連れて来るのでリトアニアの紹介をしてもらう企画の話も、話下手なのでとやんわり断られる。リトアニアはやはり遠い国のように思えてくる。
(藤井ビルの会長室での藤井氏 2015年12月10日)
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