HPFhito89・キコキコ商會で豆本制作に入れ込む一匹狼の工芸家末木繁久氏

 爪句集豆本シリーズを出版しているので、豆本と聞くと興味が湧く。大丸藤井セントラルのギャラリーで開催の豆本の展示会の新聞記事を目にして、パノラマ写真風土記の取材も兼ねて出向いてみる。会場で豆本制作者の末木繁久氏にお会いする。初対面である。
 まず豆本の出版元になっている「キコキコ商會」の名前の意味から聞いてみる。答えは、何となく響きがよいから付けた名前で、特に意味がある訳ではない、との事である。どうも質問と答えはこの調子のところが多く、豆本を作り続ける目的は、には目的といったものはなく好きだから、と答えが返ってくる。
 仕事や人生も目的を定めてそれに向かって進むといった考えからずれている雰囲気である。豆本を作るきっかけを聞いても、小学生の頃、豆本もどきを作って、それが現在につながっているとのことで、豆本作りのための専門知識を学ぶとか誰かについて技法の取得をするとかいったことがなく、独学で現在に至っている。その経緯もあり、一匹狼の工芸家である。
 ここで、この工芸家という肩書もあまりしっくりこない。氏の豆本は企画、デザイン、編集、製本を一人で手掛けている。こういう仕事に携わる人のジャンルは何になるかと考えて、豆本を手造りの工芸品に近いとみれば工芸家かな、と強いてこの肩書を使ってみる。本人の紹介パネルにも、工芸家や他のジャンルの職業名は書かれていない。本人も自分がどんな分野の職業人かあまり気にしてはいないようである。
 末木氏は1969年に札幌で生まれているから、現在(2015年)45歳である。2000年に「キコキコ商店」の出版部門(等豆社)で豆本制作を始めており、もう15年も豆本を作り続けている。この間に80点の豆本を作り出してきた。
 機械印刷で豆本爪句集を出して大きな赤字を抱える筆者の経験から、末木氏の豆本作りに関する一番の関心事は経費のことである。豆本作りで何とか生活している秘密は探りを入れても答えてはもらえなかった。他にも仕事はしているようであるけれど、財産を食いつぶすとかいったことではなく、曲りなりにも豆本制作で生計を立てている、との話を聞くと疑問は深まるばかりである。
 豆本を本として読む場合の難点は文字の小ささである。筆者の出版した豆本のうち「札幌秘境100選-中国語版(eSRU豆本)」(共同文化社、2007・9)が札幌市電子図書館の貸し出しランキングで2位(2015年1月時点)になっている。中国語を読む読者がそれほど居るとは思われず、拡大鏡無しでは読むのが難しい日本語対訳をネットで拡大して読めることも手伝って読まれているのが、ランキング上位になっている理由だと推定している。
 末木氏にこのネットに公開して読者の利便性を図る話をしてみるが、氏は紙にこだわっていて、豆本の内容よりは工芸品の側面を重視しているようで、話は進展しなかった。もっとも内容で勝負する本なら豆本は選ばないだろう。
 手作りの大変さを確かめるため制作日数を聞いてみる。45 mm x 55 mmのサイズの豆本を30~100冊のロッドで制作に入り、30冊を約1か月で豆本にするそうで、単純計算で1日1冊ということになる。印刷されたページを豆本のサイズに切り分けるのもカッターによる手作業と聞くと、これは大変な作業と思われる。このようにして出来上がった豆本は平均的なもので2500円程度の値段がついている。月に何冊売れれば幾らかと頭ではじいても、これで生活できるとは思えず、またまた疑問の渦に巻き込まれる。
 豆本の展示会場は他のジャンルの工芸家とシエアしているにしても贅沢な使い方である。豆本自体は小さなものなので、80点を並べたところで長テーブル2脚で済んでしまう。会場の広い空間には天井から吊り下げた豆本が空中に浮かんでいる。都心部のギャラリーの会場代も半端な借り賃ではないはずなのに、豆本を売ってそれが出来るとは、会場経費に関する疑問でも、底なし沼に落ち込むようである。


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(大丸藤井セントラルギャラリーでの末木重久氏)

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