HPFhito35・道内温泉地99%で湯に浸かった林克弘氏

 林克弘氏のブログ上でのハンドルネーム(HN)は温泉マンである。本業の方は日研コンピュータ㈱の社長で建設業関係のコンサルティングを行っている。温泉マンを名乗るだけあって、北海道の温泉地(温泉宿ではない)は99%は制覇しているとのことである。
 仕事柄もあって、北海道の各地を車で回っていて、温泉地のみならず各地の見所、駅、店、地産品、イベントなどにも詳しい。特に出身地の妹背牛を中心にした空知地方は我が庭といった感じのようである。イベント仕掛け人でもあり、留萌本線の恵比島駅(明日萌駅)で2014年に鉄道イベントの提案を行うため林氏が沼田町に行く時、福本工業社長の福本義隆氏と一緒に同氏の車に乗せてもらう。
戦前に中国から連行され、沼田町に在った明治工業昭和鉱業所で働かされた故劉連仁氏は、同鉱業所を脱走し足掛け14年間北海道で生き延びている。その劉氏に福本氏が興味を抱き、沼田町で劉氏の痕跡でもないかを調べるのが沼田町行きの動機である。
 劉氏は最終的には石狩当別町で発見された。その生還記念碑があるので、それも見て行こうということになった。そこで林氏の出番で、めったに人の訪れることのないだろう記念碑の場所をネットで調べて、我々を連れて行ってくれた。
 記念碑の場所は地図では道道527号を宮本農園の付近で直角に折れ、東北方向に向かい、田淵農園の近くである。上記場所の説明通りには行かなかったけれど、田舎の田園の道を車で走って「劉連仁生還記念碑」の立て看板があるところに着く。
 記念碑は劉氏が冬季に篭った洞穴を思わせるような石で囲まれた空間に劉氏を象徴しているかのような球体が置かれている。制作者は彫刻家故丸山隆氏である。ここを訪れたのは11月の下旬で、辺りはもう冬景色である。
 小雨の中で林氏に立ってもらいパノラマ写真を撮る。林氏の立つ周辺は一方に山林、開けた方は雪で覆われた水田と鉄骨だけになったビニールハウスがある殺風景な景色である。生還碑があるということはこの付近の山に隠れていた劉氏が発見されたことなのだろう。パノラマ写真には同行の福本氏が熱心に碑文を読む姿が写っている。


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