HPFhito22・“りゅうさん”に魅せられた福本工業社長福本義隆氏

 福本工業社長の福本義隆氏が文章入力で“りゅうさん”とパソコンに打ち込むと「劉さん」か「硫酸」かのどちらかが変換の第一候補と第二候補で出てくるとのことである。この二つの単語はまったく無関係と思われるけれど、福本氏の頭の中ではつながっている。
 「劉さん」とは中国人劉連仁さんのことで、中国山東省から1944年に日本に強制連行され、沼田町にあった明治工業昭和鉱業所で働かされた。終戦間際の1945年7月にここを脱出し、1958年2月に発見されるまで足掛け14年間を北海道の野山で生きながらえた人物である。雪で埋まる期間は地中に穴を掘り、そこでじっと座ったままで冬を越したというから奇跡に近い逃亡生存者であった。
 一方、福本氏は今やブームの感がある節電に挑戦している。太陽電池のパネルを自宅に取り付け、これから供給される電力だけで生活ができるかどうかを、身をもって試している。節電の最も効果的方法は電力を消費する生活と縁を切ればよい。冬は暗い穴倉のようなところで生活すれば電気はいらない。しかし、これでは精神が持たないだろう。
 という状況で、福本氏は劉さんの歴史的事実を知ることになる。自分とは比べものにならない無電気生活で北海道の冬を生き延びた先達が居る。これを考えれば、乏しい電気の生活は大した苦でもない。ここは一つ劉さんが働かされていた炭鉱のあった沼田町に行って、何か過去を振り返る資料でも探し、昭和鉱業所の跡でも訪ねてみよう。そして、それを省電力耐乏生活の精神的拠りどころしよう、と沼田町町役場まで劉さんの記録を求めて行く。
 沼田町役場で対応してくれたのは、町興しに熱心な町職員の亀谷良宏氏である。しかし、この負の遺産を調べ直すのは町としては乗り気ではなさそうである。それでも保管されている劉さん関係の新聞資料や昭和鉱業所の過去の写真などを見せてくれる。
亀谷氏は昭和鉱業所の跡に続く林道まで案内してくれたけれど、林道は閉鎖されていて、鉱業所の廃屋の写真を撮ることはできなかった。なお、この沼田町行きはイベント仕掛け人林克弘氏が沼田町に鉄道イベントの提案を行う目的もあって、林氏の車で行った。
 話しは戻り、福本氏の太陽光発電だけで一応最低限の文化的生活を行うには、大容量の蓄電池が必要との結論に達した。市販で手に入る蓄電池は停電に対処して大電流を放電するのもであって、少量の電流を長時間流す電池には不向きである。それも、夏季に蓄電して冬季に使うなどといった長期間にわたって働かせる目的のための蓄電池が必要だ、と福本氏は自作の電池開発に乗り出す。鉛電極を希硫酸につける鉛電池の原理から始まって、大容量鉛電池の自作と実験である。ここで登場する単語が「硫酸」なのである。この電池はまだ実験段階で所期の目的にはほど遠い。
 「劉さん」と「硫酸」は福本氏の頭の中では化学反応を起こしている。しかし、その化学反応はエコ生活、節電生活、老後の生きがい、といった触媒が作用したものである。今は手を引いているみたいであるけれど、福本氏はパノラマ写真に凝った時期がある。その衣鉢を受け継いだのが筆者である。


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(沼田町町役場会議室で左から福本氏、林氏、亀谷氏)

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